昭和48年01月14日 特別奉修委員



 あの草冠に高いという字、高山さんの高これもやっぱりタカと言う、まあこれも字引を引いて見なきゃ、どういう意味か分からないですけれども。草冠に高という字を書いてあり、の字がありますよね。(信者さんが何か話す)何(ふながしちいう、それは)ほう。これをタカシとも読むんですもんねやっぱり。という字を頂いたんですけどもね。皆さんの場合など、もう今まで頂いてみえた御教えを、頂いてさえおいでられりゃ自然に信心が高度なものになっていく。
 それにはどういう事かと言うと、信心は徹する事以外にありません。だから今まで頂いておる御教えの、例えば、幾つかでも本気で徹する事、例えば責めないといったら、もう本気で責めない事に徹する事。徹しなかったら駄目です。おかげは頂いてもね、もう信心は進まんです。徹する所にですね、それが自分のものになるでしょう。だからおかげ頂くとですよ。高度になっていくとです信心が。もう自然に高くなる。もう是からの皆さんの信心はそれ以外ないね。もう色々頂かなくても、今まで頂いておるもう今まであんまりたくさん頂いておるからね。そこからどれか是だけには徹する、徹していくと。徹しなければ信心は高度化していかないです。
   どうぞ。